東京MXテレビを見て、秋葉原についてのレポートをまとめて見ました(笑)

朝テレビを付けると、
秋葉原がなぜ今のような街(簡単にいうと、”おたくの聖地”)になったかについて、
脚色なく、アカデミックな視点で論説。
どの意見を見ていても出てくるのが、
<1:80年代のパソコンユーザーとその趣味>
・個人レベルではまだ趣味としてたしなむ人が圧倒的に多かった。
・それで、その人たちがパソコンでやるここというと、ゲームが多い。
・そんなゲームをやる人は、アニメに通じている人も比較的多かった。
<2:最大のターニングポイント・1998年>
いわゆるおたく系商品が確実に市場を形成できると実感したので、急速に店舗展開が行われるようになった。
という見方です。


では、時代を追って見ていきましょう。
<〜80年代前半:電気街秋葉原全盛期>
秋葉原・・・国内屈指の家電製品専門店外。家族連れで家電製品を買いに来ることも、ごく普通の光景だった。
<80年代前半:家電量販店の台頭とパソコン市場の形成>
郊外で家電量販店が進出。→わざわざ秋葉原に出なくても家電品を買えるように。
ただ、まだまだ”電気の街”のブランド力は絶大。
市場にパソコンの登場。各店”家電の一つ”として扱うように。
<80年代後半:パソコン市場の本格形成>
家電量販店が台頭し、売上シェアにおいては、秋葉原はその地位を大いに揺さぶられることになる。
一方、”パソコン”という趣味が広がり、こちらの売上が秋葉原でも大きくなっていった。
この状況に目をつけ、パソコンを全面に押し出した店舗展開が考案されるようになった。
その象徴的な例として1990年にオープンした”ラオックス ザ・コンピューター館”がある。
当時としては珍しい、一店舗まるごとパソコンの専門店であり、各方面から大いに注目を集めた。
<90年代前半:新たな市場へ・潜在重要の探りあい>
<90年代後半:”おたく”文化の開花・秋葉原新時代>
<2000年〜新たな文化発祥の地・秋葉原へ>


ふう、えっと、まだ途中ですが。
真面目にレポート書こうとすると大変だこりゃ(笑)
ちなみに、私が最初にラジカセ買ってもらったのって、秋葉原だったんですよね。
あの頃は、本当にあっち見ても電気屋さん、こっち見ても電気屋さんで、
「わー、東京ってすごい」
と、変に感動してました(笑)